投稿日:2022.09.24 最終更新日:2024.10.07
セルフポートレート vol.7・・・明日 25日(日)・26日(月)は定休日につきお休みさせていただきます (町田市の外壁と屋根のことなら ぺんき屋美装)
1982年の昭和57年頃のセルフポートレート続きです
前回の内容はこちらからご覧になれますセルフポートレートvol.6
1985年・昭和60年 21歳の春、お世話になった五本木塗装店を退職し独立しました
独立と言っても塗装職人としてたったの4年しか経験が無く
経営の事など何も分からない状態でのスタートです。
経営の仕方を知らないという事がどれほど怖いか後々とても苦労しますが、この時は全く知るよしも有りませんでした。
ただただ腕には自信があると言うだけ
今思えば、ただの世間知らずですが、若さというパワーは凄いです(笑)
そもそも、何故たった4年しか経験していないのに、独立する事になったのかと言うと、五本木塗装の息子たちとの差別的な扱いに嫌気がさしたという事が一番だと思いますが、居られない状態だったんですよね。
その頃の私は、会社に貢献したいとサービス残業もいとわず懸命に作業に取り組んでいました
いつか独立しようと思ってはいましたが、具体的には全く考えていなかったんです。
『こんなに良くしてやったのに・・』と文句を言われながら五本木塗装店を去る事になった私は、他の塗装屋や他の職種などどこか他に勤める気にもなれず、知り合いの社長さんからの勧めもあってダメ元で独立する事に決めました
それは、自分の技術が他人を幸せにして自分の存在意義が唯一感じられるのが『塗装』だったからです。
まだ塗装の営業など無い時代です
新参者が直接お客様との取引など出来るはずもありません。
誰もが通るのは工務店などの『下請け工事』です。
色々な『つて』を使って数軒の取引先を得る事が出来ました。
話が後先になってしまいましたが、修行していたのは地元の目黒区、駅で言うと東急東横線の学芸大学ですのでお客様や取引先は当然23区内です。
ですが、この頃私は母と力を合わせて一軒屋を建てる為、親戚が居て都内より土地の安い、相模原市に引っ越ししていました。
地元では何をやっても手助けしてくれる仲間や先輩、後輩が居て、上手く行かなくなったら甘えてしまうのではないかと考え、生意気にも自分の力量で世間に認めてもらいたいと考えていた私は地元を離れ知り合いの居ない地に身を置く決心をしたんです。
考えはカッコイイんですけど、結果は大変でしたね(笑)
工務店の仕事は新築が主で、外壁はサイディングが一般住宅にはまだそれほど浸透していなくて、基本モルタルしかありませんので、必ず吹き付け工事があります。
あの時工藤さんに任せていただいた経験から数年、吹き付けは私にとって、すっかり得意な工事となっていました。
そして、内装の枠は必ず塗装です
この頃辺りから、床はアメリカの建売を真似て取り入れていた、じゅうたんからフローリングが主体となってきます
窓枠や巾木を床のフローリングに合わせてオイルスティンで調色して着色、最後はニスで仕上げるという工程です
取引先になってくださった渋谷区恵比寿の工務店さんは大田区のカドヤ建設の下請けをやっていて、蒲田や六郷に6棟現場や8棟現場とまとまった建売を建てていました。
当時の社長は口うるさく、ヤル気を削がれる事もありましたが、新築の外部吹き付けと内装塗装を全て私に任せてくれました。
まだ駆け出しの若造に本当に有り難かったです
吹き付けは、スタッコの吹きっ放しです
これはデザイナーさんが私に『岩の様なイメージでごつく吹き付けて欲しい』と直接要望してくれました
当然私は私に仕事を任せてくれた工務店さんの顔を少しでも立てたいという気持ちと、デザイナーさんのイメージを実現したいという気持ちで実現に向けて施工に取り組みます
だけど、岩のようにごつくと言っても塗布量はある程度決まっていますので、知恵を絞って凹凸の輪郭がハッキリするよう仕上がりに工夫をしました
これが高評価をいただき、カドヤ建設さんと何軒か取引の有る工務店さんの中から私と取引の有る工務店さんへの仕事の発注が増えたと聞いています。
ただ、材料は喰いましたね
でも単価は上げられない
ですので、明るいうちは外部の工事、暗くなったら内装の塗装と1日の労働時間を増やして何とかこなす毎日でした。
朝早く出て相模原から蒲田や品川へ行き、夜は9時くらいまで作業をしていた頃は大変でしたけど、やりがいも感じていて、それなりに充実していたように思います。
たった4年で独立してしまったので知らない事ばかりで、休みの日は建築や塗装に関わる本を読みあさりました。
だって塗装の工事の事を聞かれて『知りません』ってカッコ悪くて言えないですよね。
一流の職人として生きるには、カッコつけるくらいの根性は必要だと思うんです。
それが、人知れずとんでもない努力をすることになってもです。
バブル直前の1985年。
日本はとっても元気でした。
さて
今週も一週間ありがとうございました。
また、来週27日(火)からよろしくお願い致します!
メールでのお問合せは24時間受け付けていますのでお気軽にどうぞ!
10年~15年先の次の塗り替えまで安心してお過ごし頂ける塗り替えをお約束します
町田市・八王子市・多摩市の外壁塗装はぺんき屋美装
なぜ〝ぺんき屋美装〟の塗り替えは長持ちするのか、動画でご紹介させて頂いております。よろしければこちらもご覧ください
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「ぺんき屋美装」で働く職人さん達は、日々どんな思いで働いているのか?聞いてみました。
ではまた!!