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セルフポートレート vol.2・・・明日 20日(日)・21日(月)は定休日につきお休みさせていただきます (町田市の外壁と屋根のことなら ぺんき屋美装)

今日は前回のセルフポートレートの続きです
前回が気になる方はこちらからどうぞ セルフポートレートvol.1

五本木塗装店で見習いをはじめた訳ですが、お給料は働いた日数分が支給される日給月給という制度でした。
面白いのは、お昼ご飯が出るんです。
まるで飲食店の賄いのようですよね。
お給料は手間賃という言い方で確かお昼付きで一日4,500円だったと思います。

学芸大学駅を中心に港区の天現寺や、大田区の田園調布のお屋敷などで住宅塗装を生業とした塗装店でしたので、お昼が食べれるお店はいくらでも有りましたし、そば屋や町中華のお店には職人で賑わっていました。
活力を感じられる時代でしたね

「とにかく出てくれば昼飯は食えるんだからサボらないで仕事に来いよ?」そんなセリフをとくさんに言われ、四畳半一間に共同便所のアパートで貧しい一人暮らしをしていた私は喜んで『はい!もちろんです』と答えていました。

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この頃職人になろうと考える輩は、基本的に夜遊びが忙しくて朝起きれず仕事に出て来ないような連中が多くて、飯で釣るのが一番手っ取り早かったんでしょうね。

そのシステムは残念ながら、私が勤め始めて1年も経たずに廃止となってしまいました。
社長から会計士からお昼は自分持ちにしてもらうように言われたとかで、500円アップの日給5,000円にするので納得してくれと言われました。
当時、かつ丼が一杯500円で食べれてセブンスターが180円だったと記憶していますので妥当ではありましたね。

今思うと、ただお昼を食べるだけでなくて、必ずビールを頼む職人さんもいましたので、食事代がかさみ過ぎたのでしょう。

昼からビールをあおって作業する職人も今では考えられませんがそれにしても、ランチ付きとは今では考えられないシステムです
作業している職人全てのお昼ご飯を会社で面倒みれるだけの利益が出せている会社がどれだけあるでしょうか?
昭和の日本では、人を育てられる環境や力がこの頃はまだ零細企業といわれるような小さな塗装店にもあったのです。

とくさんと私は2人セットで都内の住宅やマンションなどの大規模工事、また都の入札物件で外務省関係、防衛庁、電電公社に関わるあらゆる塗装工事をやらせていただきました。
千葉にとくさんと泊りがけでアパートを一棟塗装した事もありましたが、男二人の共同生活は楽しく無かったですね苦い思い出です当時よくラジオから流れていた「すみれセプテンバーラブ」を聞くと今でもその頃の事が鮮明に思い出されます。

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何度となく仕事を変え、まるでジプシーのような生活をしていた私でしたが、今回は辞めませんでした。
それは、何も出来ない私に刷毛を握らせ『塗ってみな』ととくさんが自分の責任で私に実践を経験させてくれて、塗装の奥深さに触れる事が出来たからです。
朝出社しないとくさんをアパートまで会社の車で何度も迎えに行きました。
毎度酒臭い息を吐き車に乗り込み現場に行くという酒に溺れた生活をしていたとくさんでしたが、職人としては『粋』な会社にも頼られる腕の良い格好良い職人でした。
いつしか私の心には『もっと上手くなりたい』という願望がとても強くなっていたのです。

さて
今週も一週間ありがとうございました。
また、来週22日(火)からよろしくお願い致します!

メールでのお問合せは24時間受け付けていますのでお気軽にどうぞ!

10年~15年先の次の塗り替えまで安心してお過ごし頂ける塗り替えをお約束します
町田市・八王子市・多摩市の外壁塗装はぺんき屋美装

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https://www.painterwork.com/video/

ではまた!!

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